冨賀寺池泉式庭園(新城市指定文化財) |
■江戸時代初期 正面に三尊石を配し、なだらかな築山と、木杭で区切られた水辺の線が全体として優雅な趣をあらわしています。枯れ滝の石組みが特に美しく、日本庭園研究会の吉河功氏が推賞されています。 |
昭和61年(1981)新城市重要文化財に指定
平成22年(2010)日本庭園研究会による修復工事 ■冨賀寺庭園の構造
■北部滝石組 |
■出島護岸石組/石橋/飛び石![]() 滝石の手前にある出島は、滝を生かす遠近法としての効果を持っており、その護岸石組みの造形にも優れた感覚が見られます。特に、滝の流れが池に落ちる滝口の部分に組まれた最大幅105センチの横石は、右から左に力強く突き出しており、この一石が本庭の一つの特徴となっています。それに続く石組みも、さりげない表現ですが「摩訶耶寺庭園」の護岸石組みを彷彿とさせるものがあり、本庭の質の高さがよく表れています。本庭池泉の東北部の石橋は、元の板橋に替えて架けられた、長さ168センチの半加工の反り橋です。反り橋の先に続く飛び石が発見されましたが、これは庭園を回遊する為のものでなく、不動の滝を間近に拝するために作られたものです。 ■枯れ滝石組本庭南部西岸に組まれた枯滝は、古庭園中の枯滝とし |
■亀島と岩 南部中央に横たわる亀島と岩島は、その造形に江戸初期の強さが失われ、写実的傾向が出ていることから、おそらく江戸末期の寛政年間に加えられたものと思われます。背中の亀甲石や、手前の亀脚石の存在が、その写実性を高めています。亀頭石は、一見立石風ですが、その下幅が広いために、本来の頭を持ち上げた表現が散漫になっています。また偶然にも、石に付いた傷が目のように見え、羊か豚のように見えてしまうのも不思議です。亀頭石前の南にある岩島は、一種の蓬莱岩島表現です。江戸初期頃にはかなりの庭園に例を見られますが、その多くは立石で、本庭のような横石の作は希少です。この特殊な石組造形は、その石材に起因していると思われます。使われた石材はほとんど地元の「雨生山石」(うぶざんせき)で、静岡県との県境に連なる山で採れる硬質の青石です。表面に赤錆色のものが多く、奇岩怪石ふうのものと、水に削られ滑らかになったもとがあります。客殿前の中央部池泉の東岸と亀島は、ほとんどが「雨生山石」を使用しており、その組み方も本庭北部の江戸初期の石組みとは異なります。この部分は江戸末期に改造されたものと思われます。 ■庭門付近の石組み
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